死して屍拾うものなし

ちょっと前までは、子供のいない自分の行く末にとても不安があった。

身体が弱くなりいつか誰かの手助けが必要になるが、

その時、身内は誰もおらず、トイレもいけなくなり、布団の中で

一人孤独死をする。

 

それがとっても怖かった。

もし子供がいれば、最期の時だけは見届けてくれる。

 

その不安は子供のいない人には誰もが持っている不安だろう。

その不安をなくすためにコミュニティを作りたかった。

自分のために。

 

野糞を40年近く続けている知り合いは、「俺は野垂れ死にしたい」

と言っていた。唯一人間だけが土に帰らず焼かれる。

 

彼は自然の循環の中で、倒れ、その屍を栄養分としてまた次の生き物が

生まれていく。

その循環の中で死にたいと。

 

野垂れ死に

この言葉はよく考えるとあまりに悲しい響きだ。

野で動けなくなり、うんことおしっこを垂れ流し、それにまみれながら

寂しさと暮れゆく寒さの中で震えながらゆっくりと苦しみながら

死んでいく。

 

それがすごく怖かった。

だけど今、そんな死に方でもいいかなと思う。

きっと俺の人生にふさわしい死に方だ。

マンションの中で孤独死だけは誰かに大きな迷惑をかける

ことになる。

その時が来たら自ら森へ入って静かに寒さに震えながらその時を待つのかもしれない。

せめてその時には麻里子を思っていたい。