一連托生

H23.4.11 あのバッサリ切断事件があってからというもの、毎日が麻里子との間に何かが起こり、それに対処することで、何らかの気づきがいろいろ生まれてくる。


バッサリ事件以降このあまりにも劇的な変化の数々に目を見張るものがある。
それは、最初に麻里子の精神的なところで起こり、それに対処するような形で俺の中で必死についていこうとする。そしてそれを麻里子にフィードバックすることでいろいろな気づきが二人に訪れるかのようだ。


ここ最近、毎日のようにお昼休みに電話で話し、前の日に自分に起きたこと、それについてどう感じたかを互いに話している。


そしてふと気づいた。 これこそが、すでに二人で魂の道を歩んでいることだと。


何度も砕け散ってはまた拾い集め、また砕け散っては拾い集め、そうしているうちにだんだん見えてきたもの。


それは決して二人は別れられないということ、別れたくたって別れられない関係だということ。バッサリ事件以降、一番怖かったのは麻里子と完全に分かれてしまうことだった。


それは麻里子と永遠の別れを意味するかもしれないし、麻里子が言ったように「私を失ったあと、それがどれほどあなたに大切だったか後からわかるでしょう。」

その言葉がどれほど私を恐怖に陥れ、どれほど辛く苦しい思いをしたか。

それを経験しながら、あぁ彼女は俺にとってやっぱり魂の相手、向き合う相手だったのだという思いに気づき始めた。


なぜか、魂の道という言葉が心に出てきて、魂の道は即ち彼女と向き合うこと、彼女と向き合うことは自らと向き合うこと。その反対も真なり。

 

自らと向き合い魂の道を歩み、その先に、彼女と真実の愛を体験する。その真実の愛の光がこの地球にそしてこの宇宙にどれほどの光と恩恵をもたらすのか。

 

きっとそれがやりたいのだと思う。誰もが出来ないこと。彼女と私でしか出来ないこと。彼女と私が生み出す創造の光。今まさにその道を歩き始めたようだ。


巷では、魂の相手はツインソウルとかツインレイとかと呼ばれ、その相手に出会うこと自体が素晴らしく、その後はバラ色の人生が待っている。

 

そんな感じだが、こちとらどっこい全くロマンなどどこにもないかのようだ。例えるなら、二人三脚と言えば聞こえはいいが、足元をよくよくみると鉄の鎖で相手の左足と私の右足がしっかり繋がっている。


その状態で険しい山を休みなく登らされている感じ。どちらかが、苦しくて倒れると片方は倒れた一人をかついで登ることも出来ないため、その時点で二人の死は確定。


そして鉄の鎖ゆえ、そこから切り離して逃げることも出来ない。つまりどんなに苦しくても倒れることも出来なければ、逃げ出すことも出来ない。まさにそんな感じだろう。


それを生まれる前に二人は互いに合意し選んで生まれてきたのではないかということが薄々分かり始めてきたのかもしれない。

 

それを麻里子に言うと、そんなの初めから私は分かっていたと。 なんじゃそれ。(笑)
俺だけか、やっとそのことがわかり始めたのは。

 

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俺は一連托生という言葉が好きだ。一連托生とは、2つの意味がある。一つは仏教用語で、死後、極楽の同じ蓮華の上に生まれること。もう一つは、結果はどうなろうと、行動や運命をともにすること。「死ぬも生きるも我ら、一連托生だ」のように。


そういう誰かに恵まれることを実は望んでいた。
そういう仲間こそ真の仲間だと思っていた。互いにどんなことがあっても絶対的な信頼のもと命を預け、進んでいく。きっとそうでなくては進めない道を進みたいと思っていたのだろう。


俺はいつもいいなぁと思っていた。ちょうどおやじ世代の夫婦の多くが、絶対的な亭主関白で、おやじがこれしろ、あれしろと命令し、妻はハイハイと何の疑問も持たず
それが正しいか間違いかも関係なく、仮に間違いだったとしても、ただただ夫に付き従うという姿。それを見るたびになんてすばらしい夫婦だと思っていた。


なぜ素晴らしいと思ったかというと、そこに「自分はあなたのものよ。あなたが信じる道を私はこの命さえかけてどんなことをしても付き従うわ。」という正に一連托生の愛の精神を見ていたからだろう。
それが麻里子だった。今の俺にはそう思えてきた。麻里子がそう思ってなければ失礼な話
だが(笑)


この5年間の麻里子の苦闘を知っていくたびにそう思えてくる。


麻里子、長く長く待たせたね。
やっと俺はここに辿りついたよ。

 
麻里子は5年分の愛を全て賭けて、最後に俺にそのことを気づかせてくれた。
ありがとう。麻里子。


これからは俺が麻里子に愛を返していく番だね。
何倍にもして返していこう。
そうやって愛の循環を二人の間で起こしていこう。
そこに目を遮るほどの愛の光のスパークが生まれることだろう。


麻里子、やっと俺たちが同じものを見るところまで来たね。


待っていてくれてありがとう。