イエスとマリア

昨日の朝、今日の朝もマンションから出た時、凄い風が吹いていた。

それは、イエス磔刑になって死んだ時、1時間ほど空は暗くなり雷鳴が鳴り響き、風が吹き荒れたとマグダラのマリアの書でマリアは言っていた。

 

だから目の前の風がまさにそんな風のように思えてきた。

 

それを思った時、俺の今の状況に重ね合わせてしまった。

 

ゴルゴダの丘磔刑になったのが俺でそれはまさに麻里子によって切られた死の宣告だと思った。

ロンギヌスの槍が俺を突き抜けて、雷鳴がなり風が吹き荒れた。

その時切ることを選択したのは麻里子だったが、麻里子はその状況と向きあい、側にいて、泣きながら俺に愛を送ってくれていた。

俺が死んだあと、光の身体になって、再び麻里子の前に復活した。

それ以降も度々麻里子の前に現れ、愛の交流を深めた。

麻里子と俺は愛し合っていた。

 

なんか最近、イエスとマリアの出来事を自分と麻里子に重ねることが多い。

 

エスとマリアは本当に愛し合っていたんだな。

エスは救い主として知られているが、彼のほんとうの望みはただ、マリアに向き合い愛し合うことだったんだと思う。

その愛が世界を包んだ。

 

今朝、瞑想をしてて、本当に自分がやりたい事を問うていた。

麻里子と一緒に生きることなのか?

麻里子と一緒に生きると思ったとき、

ジンワリ愛なのか何なのかわからないけれど

優しい何かが心の中から溢れてきた。

次になんとなく、100パーセントの愛を表現すること。と思ったとき、小さな電流が走り魂か心が少し震えたように感じた。

その後に出てきたというか心に思った言葉。

 

100パーセントの愛を表現する。

麻里子を通して。

 

だった。

これはもしかしたらエゴなのか希望なのか今は判別は難しいけれど、確かにその言葉が出てきた。これは麻里子と一緒に生きるという言葉より、よりしっくりくる感じだ。

 

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